自転車日本一周旅を終えて
旅が終わり、新たな日常へ
2020年9月8日。住んでいた長野県諏訪市を離れ、地元の群馬県太田市の実家から自転車日本一周旅に出た。
2021年10月17日。約1年と1ヶ月の時を経て、群馬県太田市に帰ってきた。
あっという間、とは言い難い程に、長い長い一年間だった。
この旅を経て、自分の何が変わったかと言われると、正直よくわからない。
たが、「自転車旅」というものに対する見解、そして日本各所の良さや悪さについては、多くの知見を得ることができた。
旅が終わったら、次なる目標は就職。
現在の学歴・職歴は、大学学部卒。約二年間の正社員。約1年間のフリーター。以上。
そして約一年間の空白期間(旅)。世間から見たら、決して良い経歴とは言えないだろう。
しかし、やれることをやるしかない。
幸い、やりたい仕事は既に決まっていたので、その仕事の求人を探して突き進んだ。
持前の行動力を活かし、旅が終わった次の日には早速、やりたい職種の正社員採用の求人に応募していた。
ネットやハローワーク等から求人を集める。なんだか、大学生の就活を思い出す。
僕は、偽りの自分を作り出すことができない人間なので、素の自分で立ち向かった。
幸いなことに、僕を気に入ってくださった企業があり、そちらに採用いただいた。
10日に渡る就職活動が終わり、現在は初出勤日を待っている。
この就職活動を終えたことで、なんだかようやく僕の旅が終了したような感じがした。
そして、ここからまた新たな日常へ。
自転車日本一周旅 総括
ここからは、旅で得た知見や感想を記します。
日本一周。
日本列島の外周をぐるっと一周すると、凡そ12,000km程らしい。
一筆書きでこの日本一周をするとなると、どんな手段を使っても短期間というわけにはいかない。
更に、それを自転車でやるとなると、かなりの期間がかかる。
となると、お金もそれ相応に用意しなければならない。僕は、なるべく費用を抑えるために、テントやマット、寝袋などを揃えて野宿を基本とするスタイルをとっていた。
毎日自転車で見知らぬ場所を走り、夕方になれば寝床を探して彷徨う。
そんな毎日は、決して楽しいだけではなかった。
旅を始めるまでの僕は、自分でお金を貯めてから行う旅は「仕事」ではなく「遊び」なので、四六時中ドキドキワクワクで、楽しくて仕方がないものだと思っていた。
実際に旅を始めてから数日間は、しんどいことはあれど、ワクワクドキドキの毎日で楽しくて仕方がなかった。
しかし、旅を始めてから2ヵ月程経過した頃。徐々にワクワクは減っていった。
理由は、「慣れ」と「飽き」だ。
毎日知らないところを走っているのも普通。
毎日寝床を探し、公園や道の駅を探し、時には厳しい環境の中で野外で寝るのも普通。
毎日、初対面の人と会話したり仲良くなったりするのも普通。
”非日常”が”日常”へと変わった。
新鮮さは消え去り、ただひたすら次の目的地を目指してペダルを回す日々。
どこかで見たような景色を眺めながら、自転車を漕ぐ時間の大半は、つまらない時間だった。
しかし、時々目を奪われるような景色や、進んでいるだけで楽しくなるような道があったり、素晴らしい出会いがあったり。
そんな時々の楽しみが、旅のやりがいに繋がっていた。
ほぼ毎日、つまらない時間9割、楽しい時間1割くらいの割合。
なんだか、仕事をしていたころもこんな感じだったなと思った。普段の業務はつまらないことも多いが、時々楽しかったりやりがいを感じる瞬間がある。
このことから、仮に自分が思う理想の職業に就けたとしても、結局同じことになるのではないかと考えた。
しかし、このつまらない時間があるからこそ、楽しい時間にも価値が生まれる。きっと、人生はこの波の繰り返しを楽しむものなのかもしれない…なんて思っていた。
正直に言って、「旅を辞めたい」と思った回数は、一度や二度ではなかった。
旅に飽きが来たとき。旅の他にやりたいことができたとき。普通に働く日常が恋しくなったとき。誰かに恋をしてしまったとき。
その度、「なんで働きもせずにこんなことやってるだろう…」と考えたこともあった。
しかし、僕はやり遂げた。
投げ出すこともなく、途中で引き返すこともなく、最短距離で帰って適当に終わらせることもなく。最後まで、自分が形にしたかった日本一周をやり切った。
その原動力は、過去の自分だった。
この自転車日本一周旅を実現させるために、毎日必死に働いてお金を貯めてきた過去の自分。この日を夢見て生きてきた自分。
そんな過去の自分を裏切ることは、到底できなかった。
もしも過去の自分を裏切り、目の前の試練から逃れて、適当に旅を終わらせてしまったら、きっと僕は今後一生辛いことから逃げ続け、適当に生きる人間になっていたことだろう。
今、「なぜ旅にでたのか?」という質問にはこう答える。
「自分の選択した人生を成し遂げたかったから。」
これにて、僕の自転車日本一周旅は終わりだが、人生という旅はまだまだ続く。
「旅人人生」は、僕が死ぬまで続いてゆく。
最終日・後日談 群馬県安中市~太田市
ゴールしてから、色々してたら書くの遅くなっちゃいました。
最終日
碓氷峠を越えた先の安中市からスタート。
最後の野宿は、立派な東屋にて、テント設営無しの野宿。
恐らくこれからの人生、こういう場所で一夜を明かすことはもうないのだろう。
…多分。
高崎駅前には見覚えのない、大きな歩道橋ができていた。
道中、大学時代の友人から連絡があり、なんとすぐそばの伊勢崎市に在住しているとのこと。
早速再会をすべく伊勢崎市へ。
そして友人と再会。
この出会いが、この旅中最後の出会いとなった。
社会人として立派に日々を過ごしている友人を見て、益々自分も早く社会復帰したいという気持ちが大きくなった。
友人から、最後の旅人としての姿を撮って貰った。
そして、伊勢崎市からすぐ隣にある、地元太田市に帰還。
旅をしている間は、遥か遠くの土地になっていたが、またこうして戻ってこれたことに少しばかり感動を覚える。
見慣れた道を通り、ゴールの実家に到着。
事前に連絡してあった両親に迎えられ、ゴール。
1年と1ヶ月半。
ここからスタートし、ここに戻ってきた。
家族に暖かく迎えられ、感謝の言葉を伝え、語らう。
これにて、僕の自転車日本一周旅は完結。
またここから、新たな人生のスタートだ。
後日
旅の終わりから一晩明け、実家の布団で目を覚ますと、「あれ、ここはどこで、今日はどこまで走る予定だったっけ?」なんて一瞬考えるが、ゴールしたことを思い出し、「そうか、もう何処にも行かなくていいんだな」と安堵する。
とりあえず戻ってから早速やることは決めていた。
それは就活。次なるステージへ進むこと。
やりたい仕事はあるので、それに向かって進むだけ。
現在は一社エントリーし、結果を待ちながら、他に受けるところも決めて準備している状態。
就活以外には、家族と話したり、犬の散歩をしたり。
久々の愛車のマウンテンバイクに乗ったり。
そんな感じです。
また、自転車旅を通して思ったことや考えたこと、感じたこと等を就活が終わり次第、まとめようと思います。
自分の備忘録・記録用として書いていたこのブログですが、本当に沢山の方に見て頂いて感謝するばかりです。
ありがとうございました!
279日目 長野県茅野市~群馬県安中市
まだ日が登る前の時間に起床し、早めに出発。
そして襲いかかる12%傾斜。
常に8~12%の傾斜が続き、かなりしんどい。
自転車が重すぎるので、押して歩く方が辛く、結局乗るしかない。
湯けむり街道には、標高を表記した看板が。
どの辺まで登ってきたのかがわかりやすい。
そして、麦草峠に入り、再び登る。
麦草峠にも標高表記看板がある。
長い長い登り坂を越え、麦草峠登頂。
これにて、標高の高い国道は全て制覇。
しかし、進んだ先に飛び込んできたものはこれだった。
十石峠、通行止め。
正直、少し喜んでしまった。
通行止めなら、どうしようもない。つまり、キツイ十石峠を越えずに済む。
碓氷峠方面から一気にゴールへ向かうことも許される(僕の中で)。
ということで、仕方なく(大嘘)碓氷峠へ向かう。
軽井沢に辿り着くまでがひたすら登り坂。
碓氷峠に突入し、群馬県へ。
碓氷峠はひたすら下り。
旧道を通ったので、ずっとカーブ。直線は殆ど無い。車で通ると、同乗者を車酔いさせやすいことで地元では有名だ。
碓氷峠を下っている途中、東京の友人がわざわざ車でこちらまで駆けつけてくれた。
そして一緒に夕食へ。ご馳走頂いた。
最後の最後まで、本当にありがとう!!
今日は安中市にて最後の野営。
明日は旅の最終日、遂にゴールとなります。
長かった旅路も終幕。新たな人生のスタートを切るべく、旅を完結させます。
275~277日目 長野県辰野町~茅野市
275・276日目は、小口邸にてお世話になっていました。
朝から小口良平さんの奥さんに、立派なサンドイッチを作って頂いた。
めっちゃくちゃ旨い。ありがとうございました。
他の時間は、息子の輪人くんと遊んだり、良平さんと語ったり。
諏訪圏のソウルフードである、テンホウに連れて頂いたり、
辰野商店街にある、お洒落なカフェに連れて行って頂いたり。
本当にお世話になりっぱなしの二日間でした。
2日目は、ガイドサイクリングのお仕事を、少し手伝わせて頂きました。
久しぶりの自転車ガイド。
やはり自転車のツアーは面白い。自転車ならではの景色・発見がある。
小口一家の優しさに包まれた二日間でした。ありがとうございました。
277日目
最初の日も含めて三日間お世話になった小口邸から遂に出発。
朝から晩まで、良平さんと語り合って、本当にこの人と出会って良かったと心から思った。
社会人時代、仕事も人間関係も何もかも上手くいかず、自暴自棄になったり塞ぎ込んだりしていた僕に、「自分の人生を生きる」ことの楽しさを教えてくれた、掛け替えのない唯一無二の大切な友達。
また、遊びに行きます。お世話になりました!
辰野町から、有賀峠へ。
車でも自転車でも幾度なく越えてきた、思い出の峠。
有賀峠の途中で、諏訪市に突入。
そして有賀峠を越え、諏訪へ。
社会人として3年半過ごした土地。
普段はスマホで、Googleマップを見ながら走ったりしていることが多いが、ここに限っては一切必要ない。
何度も何度も通った道を、今再びなぞる。
諏訪では2つ、やりたいことがあった。
まずひとつは、散髪。
諏訪に住んでいた時から、日本一周に出る直前まで通っていた行きつけの美容院にて、就活仕様にカット。
北海道から4ヶ月伸ばしっぱなしだったのでスッキリ。
そして二つ目は、元職場に挨拶。
日本一周を決め、資金を貯める為に勤めていたビジネスホテル、チサンイン諏訪インター。
一年間ちょっとという短い期間ではあったが、一緒に働いた方々と約一年ぶりの再会。色々とお話をし、改めて本当にいい職場だったなと感じた。
色々と名残惜しが、諏訪を後にして先に進む。
途中にある、諏訪湖を一望できる立石公園へ。
諏訪に住んでいた時、何度もここに訪れた。
春夏秋冬、晴天の時、雪の時、御神渡り(諏訪湖全面凍結)の時、辛いとき、楽しい時。
様々な思いを持ってここに登っていた。
今はこれからの人生への期待と、少しの不安を抱えてこの諏訪湖を眺めた。
再び登り続ける。
夜になる一歩手間で、霧ヶ峰に到着。
写真ミスってブレブレ。
何度も何度も登った霧ヶ峰を再び眺め、白樺湖方面へ下る。
標高が1700m程とかなり高い為、空気が冷たい。
ここから更に麦草峠を越える予定なので、一度茅野市方面へまた下る。
下っている時、車から僕を呼ぶ方が現れ、林檎と梨を頂きました。ありがとうございました!!
今日は麦草峠の手前で野営。
273・274日目 長野県小布施町~松本市~辰野町
273日目
今日は昨日の渋峠制覇の達成感から打って変わり、意気消沈気味。
何となくやる気が出ず、東京での傷心がぶり返したりと、すこぶるメンタル面が不調。
今までにもこういう日はたくさんあったので、そこまで狼狽えることもなかったのだが。
とにかく前に進んで、旅を終わらせないとどうにもならないので、先へ進む。
千曲市街地から国道403号線に乗り、長く続くキツイ登りを走る。連日の長距離走行や厳しい峠越えでかなり疲労感があったが、鞭を打って登る。
千曲市の姨捨(おばすて)。
長野盆地が見渡せる絶好の場所。夜景もかなり良く見えそうだ。
暫し、8~10%程のきつい登りが続く。
季節外れの暑い気候も重なり、中々険しい道のり。
登りきって聖高原、麻績(おみ)村に到着。
下っていると、自転車に違和感を感じたので見てみると、またしても後輪ホイールが振れていた。
近場の広いスペースでホイールの振れとり作業を行い、ある程度調整したところで再出発。
筑北村を越え、安曇野市へ。
この辺りから、お馴染みの風景。懐かしの中信地域。
松本市・塩尻市には、バイトの関係で少しだけ住んでいたこともあり、色々な記憶が甦る。
この日は松本市にてネカフェ泊。
274日目
ネカフェにてゆっくりと過ごし、疲れを取って出発。
今日は辰野町へ向かい、僕の乗っている自転車の持ち主、世界一蹴自転車冒険家の小口良平さんに会いに行く。
そして、良平さんの活動拠点である、grav bicycleへ一年ぶりの来訪。
小口良平さんと、一年ぶりの再会。
僕が旅を始めるきっかけのひとつでもある方であると同時に、僕の大切なお友達。
ご自宅に招待頂き、大きくなった息子さんの輪人くんとも再会。
旅の初期に会いに行った時はまだ0歳だったが、僕が日本を回っている間にとっても大きくなっていた。
可愛い息子さんと、素敵な奥さん。素敵な家庭。
その暖かさ、優しさに包まれた時間を過ごさせて頂きました。
明日は雨天の為、もう1日お手伝いしながらお世話になります。
271・272日目 栃木県日光市~群馬県東吾妻町~長野県小布施町
271日目
中禅寺湖のほとりからスタートし、少し登ると紅葉していた。
標高の高いところは色づきが進んでいた。
戦場ヶ原を通過し、更に登って湯ノ湖と湯の滝へ。
名前の通り、硫化水素の臭いが強い。
ここからもひたすら登り。標高の高い中禅寺湖から登り始めるから、多少楽かな~なんて思っていたが、全然キツイ。
やっとの思いで、金精峠登頂!
そして群馬県へ。まだ帰らないけど。
沼田市を抜けて高山村方面へ、国道145号を使って向かったのだが、登りの傾斜がとんでもなく厳しい。
何で金精峠越えた後に、またこんなキツイ登りを走らなきゃいけないんだと泣き言を言いながら登る。
何とか高山村に突入し、現れたのは高山村のロックハート城。
群馬県民なら大体の人が知っているであろう、観光・デートスポット。
家族旅行でも他の用事でも何度か行った懐かしい場所。
そこからもう少し進み、この日は八ッ場ダム辺りで野営。
272日目
八ッ場から長野原へ、長野原から旧六合(くに)村(現中之条町)方面へ進んで草津を目指す。
草津町までの登りもまあまあキツめで、草津町に入っても町内の傾斜が強烈。
全国で有名な草津温泉。
珍しい酸性の温泉。ここも家族旅行で行ったのを覚えている。
そして、草津から渋峠を登り始める。
晴天予報、日曜日という好条件があるからか、車・バイク・自転車がとても多い。
たくさんの方から応援を頂いた。ありがとうございました!
登っていくと、すれ違う自転車乗りの中に、見覚えのある方を確認。
向こうも気づいて止まる。
何と、2年前に自転車で日本一周をしていたノブさんとまさかの再会。
2年前は、愛媛県のとびしま海道行きのフェリーで出会っていた。僕が仕事をうつ病で退職して、自転車で放浪していたときだ。
まさに奇跡の再会と呼ぶ他ない。感無量。
色々な方と関わりながら、登り進んでいくと、突然の濃霧。
数メートル先も見えないような、超濃霧。
これは今回も風景は全く見えないかな…と少しテンションを落としていた。
しかし、登っていくと徐々に霧が晴れてくる。
そして目前に広がる絶景。
これが渋峠の真の姿か!本当に晴れて良かった。
ほどほどに余裕を残しながら、ゆっくりと登り続け、遂に再び到達。国道最高地点!!!
4日目に登ったときとは違い、死ぬほど苦しむこともなく、登りきることができた。少しは成長したのだろうか。
暫し達成感に酔いしれ、同じタイミングで登ってきた方とひたすら歓談。
そして何と、北海道で出会った群馬県発の日本一周ライダーと、頂上にてまたまた偶然の再会!!
彼はこれから西日本を回るとのこと。良い旅を!!
少し着込んで長野県側に下る。
下りも絶景を満喫。
下っている間はずっと達成感に酔いしれていた。
麓まで下り、久しぶりの大好きな長野県に感激。
今日は小布施町まで進んで野営。
明日は、松本の方に進みます。
269・270日目 千葉県香取市~栃木県宇都宮市~日光市
269日目
目を覚まして撤収、朝飯を平らげたら早速利根川サイクリングロードをひたすら走る。
途中、江戸川サイクリングロードに乗り換えて北上。
江戸川を西側に渡ると、47県目となる埼玉県に突入した。
これにて、47都道府県すべてに足を踏み入れたこととなった。
まあ流石に、埼玉県をかすめただけで終わらせるのもちょっとアレなので、後程また別の場所から突入予定。
この辺りに、群馬県・埼玉県・栃木県の三県境がある。
地元民なのに、この場所を知りもしなかった。
いや、知ってても行かなかったかもだけど。
近くの道の駅でレモン牛乳アイスを食べる。
レモン牛乳大好き。
渡良瀬遊水地に突入。
自転車も入ることができ、走っている人もぼちぼちいた。
渡良瀬遊水地から、思川サイクリングロードに乗り換え。
そのまま思川サイクリングロードを走って小山市まで行き、そこから宇都宮市に続く姿川にはサイクリングロードが無かったので、国道4号で宇都宮市へ。
宇都宮市に到着し、餃子通りでみんみん本店に立ち寄る。
相変わらずめちゃくちゃ旨い。正嗣もまた行きたいなぁ。
この日は、宇都宮市にてネットカフェに宿泊。走行距離は176km。これにてこの旅における長距離走は終わり。
ここからは山岳メインになります。
270日目
ネットカフェで身支度を済ませてゆっくりした後、日光に向けて出発。
日光街道に立ち並ぶ、日光杉並木が美しい。
元今市市(現日光市)を抜け、日光市街地へ。
懐かしい風景ばかり。
暫く登り続け、日光いろは坂の入り口に到着。
ここからは一方通行。
ここ日光いろは坂は、一方通行で登り下りが別々の道になっているという珍しい峠。
いろは坂の名の通り、カーブの度にいろは言葉が看板に示してある。
かなりヘアピンが多い分、斜度が抑えられてはいるが、それでもそんなに楽ではない。自転車が重すぎるからかもしれんけど。
日光いろは坂といえば紅葉だが、現時点では色づきはまだまだ。
今年は異常気象で10月にも関わらず、夏の終わりのような気候だからだろうか。暑い。
何とか日暮れまでに日光いろは坂を越え、奥日光へ到着。
そして中禅寺湖。
今日はこの辺りで野営。標高が高いので、朝晩冷え込まないといいけど…。
明日は、金精峠を越えて草津温泉方面へ向かいます。天気が良くなさそうなので、あまり進めないかな?